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スタッフブログ

リスクとハザード

毎日厳しい寒さが続きますが、今日の猪苗代はお天気に恵まれ、綺麗な青空だったようです☀

(私は実家のある福島市でこのブログを書いています😊)

今日は穏やかだったようですが、猪苗代は日によって道路が吹雪でホワイトアウト状態になったり、凍結することも多く、車の運転や雪道の歩行など、日々の暮らしの中に「危険」がたくさん溢れています。

特に今年は福島市も積雪量が多いので、大きなお腹のわりに、ついつい普段通り動こうとしてしまう私は、「危険なことはなるべく避けるように」「転ばないよう・お腹をぶつけないように」慎重な行動をするよう、毎日家族から注意されています。

改めて「危険」について考え直す毎日。

今はまだ子どもが自分のお腹の中にいるので、自分さえ気を付けれていれば大体の危険から守ってあげられますが、お腹から出てしまった後は、そういう訳にはいきません。

できることが少しずつ増えて、子どもが「自分の意志をもって、新しいことにチャレンジしようとする」年齢に差し掛かった時、その子の「やりたい」という意志と、経験あるがゆえに予測できる「危険」の間で、私はきっと大いに悩むのではないかと想像できます。

この冬、Rootsの若手スタッフに週代わりでプレーリーダーを務めてもらうにあたり、プレーリーダー研修を行いました。

ちなみに、今日の担当はAKARIさん。

カラフルな色水を用意して、プレーパークを開催してくれました✨

研修の内容は、プレーパークの意義、どんな環境整備をするのか、利用する親子に伝えること・関わり方、応急手当の方法など、多岐にわたりましたが、研修を受けたスタッフから一番反響が大きかったのは「リスクとハザード」についての考え方でした。

「自分の責任で自由に遊ぶ」というモットーを掲げる『グロンボロンの森』における「危険」についての大切な考え方が、「リスクとハザード」です。

一般的に「危ない」とされることを、私たちはひとまとめに「危険」と表現しますが、その「危険」を

①その子の成長に繋がるものは「リスク」

②成長に繋がらないものは「ハザード」

と分けて考えます。

例えば、ある男の子が森の中で、焚火でのマシュマロ焼きにチャレンジするとします。

もしかして火傷をするかもしれないけれど、その危険があることを理解する上で、その子がチャレンジをするのであれば、それは「リスク」です。

どのようにしたら火傷をせずに済むのか、自分でやると決めたチャレンジならば、その子は誰に言われなくても自発的にいろいろと経験しながら考えます。

焚火の着火にはじまり、適度な炎の大きさ、炎と自分との距離の取り方、風の向きを考えた場所どり、マシュマロの焦げ具合に注意を払うなど、実に様々な「リスク」に対して学びがあるわけで、うまくいけばトローリ美味しいマシュマロが食べられた結果がその子の成功体験となり、おのずと自己肯定感が高まります。

たとえ失敗したとしても、何が原因だったのだろうと考え、次はうまくやれるように工夫するなど、その経験は必ずその子の貴重な学びとなります。

大切なのは、この貴重な自発的な学びのある場面で、側にいる大人が必要以上に「手出し・口出し」をしないということです。

大人の介入によって、せっかくのその子の意欲や成長の機会が失われてしまうからです。

ところが、焚火をしようとしたその子の頭上にもし枯れた木の枝があって、それが突然その子に落ちてきてしまったとしたら…

それは「リスク」ではなく、「ハザード」となります。

その子にとって、頭上から突然枯れた枝が落ちてくるという危険は、ほとんど予測不可能であり、その子の成長に繋がるものではないからです。

プレーパークを開催するにあたって、グロンボロンの森では、定期的に枯れ枝の除去をしたり、そりすべりのコースを考えたり、子どもが駐車場の方へ飛び出さないよう注意したり、子ども自身の予測が難しい危険によって大けがをすることがないよう、環境の整備を行っています。

つまり、プレーリーダーは子どもたちの成長に繋がらない危険:「ハザード」はしっかり取り除き、子どもたちの成長に繋がる危険:「リスク」は取り除いてはならないのです。

この考え方は、プレーパークに限らず、企業研修など人材育成や環境整備の場面でも、大いに活用できると思います。

うまくいくか分からず「リスク」を伴うからこそ、本能的に成長を求める子どもたちや若者は、様々な場面で果敢にチャレンジしようとします。

ところが、幼いころから周りの大人や先輩の言う通りに選択することに慣れ過ぎている子どもや若者には、そもそも「自分がやってみたいこと」自体が自分で分からなくなっているケースも多々あります。

実は、この「ハザート」の方が将来的によっぽど危険な気がします。

「やってみよう」の精神を、大人や年長者の都合や思い込みで摘んでしまうことのないよう、おおらかに見守っていきたいものです。