映画『フクシマフィフティ』を観てきました。
開始30秒で涙。。
当時のいろんなことが思い出されて、2時間ほとんど泣いていたように思います。
震災はもちろん起きてほしくなかった事実ではありますが、
それでも、あの震災があったからこそ、それまでの大前提がひっくり返ったり、
価値観が大きく揺さぶられたりして、
結果、今ここにある生活が成り立っています。
あの時、私は新潟の地で暮らしていたけれど、津波の映像や被害に気を取られ、
連絡がなかなかつかない岩手に住む親友のことがとても気になったりしていて、
福島が、日本全体がこんなにも危機に瀕しているなんて、全く考えが及ばずに過ごしていました。
あまりにも無知だった自分自身への憤りと、命がけで戦ってくださった原発作業員の皆さんへの感謝で胸がいっぱいになりました。
そして、その戦いは決して終わっていない。
毎日が奇跡の連続で、「当たり前」なんてことはどこにもないのだと、
改めて、今目の前にある日常に感謝するきっかけをもらいました。
*
あの震災がなかったら、私は今どこで何をしていただろう。
あの仕事を続けていただろうか…。
あの町に住んでいただろうか…。
あの人と暮らしていただろうか…。
ひとつだけ言えることは、9年経った今、当時は考えも及ばなかった経験をして、
文字通り「有難い」人のご縁を頼りに、今の生活を送っています。
震災に限らず、生きていると思いもよらない困難がやってきて、
その度に、傷つき、悲しみ、必要なモノや人とのつながりに揺さぶりがかけられるのですが、
そうやって強烈なふるいにかけられた状態でも
自分の手の中、心の中に残ったモノが本物なんだと思って(信じて)、
次のステップへと進んできました。
そして、何か大きな決断をするときには、未来の私が後悔することのないように精いっぱいやりきろう!
と思いながら、今まで生きてきました。
誰のためでもなく、誰かのせいにするでもなく、自分の責任で自分の人生を謳歌する。
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コロナの騒動がなければ、3月上旬に、福島の小学校で教員をしている私の兄が持つ6年生のクラスで、『キャリア教育』の授業をさせてもらう予定でした。
実は去年、従姉が教員として務める小学校で、将来保育士になりたい女の子がいるから、仕事のやりがいについて話をしに来てほしいとお声がかかり、出張授業をさせていただいたのでした。
約1時間『保育士というお仕事』と『今のお仕事に出会うまで』というテーマで、はりきって模造紙にお仕事年表まで書いて、お話をさせていただきました。
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わたしのお仕事ってなんだろう。
わたしの職業ってなんだろう。
人生のそれぞれの局面で、自分が求めるもの、他人から求められるものも変わるけれど、
私は今この与えられた環境の中で、ベストを尽くしたい。
明日は、日曜日! プレーパーク開催日です。
手あらいをしっかりして、開放的な森の中で、プレーパーク開催します!
鬱々としている皆さん、こんなときこそ野遊びしましょう(*´▽`*)